Размер видео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показать панель управления
Автовоспроизведение
Автоповтор
「逃げる」スキルが優秀過ぎる。劉邦の子孫の証はこれだと思うw
一番重要な能力ですよね❗
納得してまうwww
劉邦と劉備共に逃げる途中、自分の子供を馬車から投げ捨てたり、家族を敵地へ置いてけぼりにしたりは共通しています。
余計なプライドが命取りに………
黄巾の乱から義勇兵を指揮して、敗戦を多く経験しながらも命を永らえて戦い続けた男ですから、決して弱いわけがないのですよね。
曹操にとっては一番やっかいな存在だったんだろうなあ。何回勝っても逃げられてまた挑み返してくるし。
逃げるのが上手いというのは、曹操や袁紹もだから一種の才能らしい。生きるが勝ち
図解雑学の三国志でも解説されてたけど、劉備はかなり戦上手で、孔明も劉備が存命時は基本的に裏方に徹している。(劉備の手腕を信頼していた)劉備の死後、孔明が最前線に出なければいけない状態になってしまった。
😅
何度も危機に瀕しながらもその度生き長らえ、最終的に皇帝にまでなれたのはさすがに凄すぎる。
どこへ行っても指導者として担がれるのはもはや天才英雄が英雄たる所以
「愛する者のために我が身を捨てて戦う者、人、それを英雄と言う」夷陵の戦いは間違いなくしくじりですが、やはりこの戦いを決意した所も含めて劉備は英雄なんだなと思いました。正史の劉備はカッコ良すぎますね……
何で公明助けてくれなかったんだろ
@@sjfaow 諸葛亮が夷陵の戦いに従軍しなかったのは様々な理由があると思いますが、主な理由としては首都である成都を守るためだったのかなと思います。それに加え、動画内でも触れられていたように劉備の軍事能力は非常に高く、諸葛亮はそれを高く評価していて付いて行く必要が無いと判断したのかもしれません。実際、史実では劉備の生前に諸葛亮が軍を指揮することは無かったようですので、それだけ信頼を寄せていたのだと思います。また、そもそもとして諸葛亮が国政を預かる者として夷陵の戦いを止めなかったことについても様々な理由があったと思いますが、その主な理由として、荊州という土地の重要性、呂蒙の死が挙げられるのかなと思います。まず、荊州という土地の重要性、これは諸葛亮の基本政策である隆中対の中でも重要視されており、諸葛亮は曹魏を攻める際に漢中と荊州からの同時進行による二面作戦を考えていました。更に、蜀漢を支える名士は「荊州という土地における名声」を基盤に持つ、いわゆる「荊州名士」が多く、荊州の奪還は『重要拠点の確保』と『政権の安定化』に繋がります。次に、呂蒙の死ですが、この人物は動画主様も動画化されているように、あの軍神関羽を破ったとても優れた軍師です。そんな彼の死後、後釜に据えられたのは孫家と確執のある陸遜。これは、他の方がコメントで述べられているように、この陸遜の言うことに孫堅以来の宿将は反発するであろうと考えていたのだと思います。ただそれでもやはり、蜀漢の国是として漢の復興を掲げている以上、曹魏ではなく孫呉に攻め込むというのは大義名分が薄く、劉備の個人的な私怨による所が大きい行為です。それでも尚、諸葛亮が止めなかった、止められなかったのは、劉備関羽張飛の3人の任侠的な結びつきに諸葛亮が入っていけなかったという事なのだと思います。関羽と張飛は旗揚げ以降、文字通り命を張って劉備を助けてきました。その二人のために、大義名分も何もかもかなぐり捨てて孫呉に戦いを挑むということは、劉備の生き様の全てだったのです。その生き様を否定する事が諸葛亮には出来なかった、或いはしなかった、そのため諸葛亮は劉備を助けることが出来なったのだと思います。
@@sjfaow 劉備の方が、口うるさい(訳ではないのだが…)孔明を遠ざけてたようだ、とも言われてるね。敗戦の報を受けた孔明が、「ああ!法正(蜀の生え抜きで当初より劉備に益州奪還を願っていた軍師。前年だかに病死)さえ生きていれば出兵を止められたし、仮にそれが無理でもここまでの負けはなかったのに!」と嘆いたらしいので、夷陵の戦いでは、もはや孔明は手出しできない状況だった模様。
劉備本人は夷陵の戦いはしくじったつもりはなかったんじゃないかと思う。あそこで純政治的に、純政略的に行動することで「自分が自分でなくなってしまう」ことの方がずっと怖かったんじゃないのかな。「劉備玄徳という人物は最期まで「任侠の人」であって、「一国を統べる皇帝」になりきれなかった」というのが全てだったんじゃないかと思う。
裏切りが当たり前の時代に赤の他人3人が命が尽きるまで離れなかった事が素晴らしいと思う。
た、 リ、?。かから?くだ
リ?!。かかな!くだ
りむぬえ。かさ!くだ
ウヒシしたから
ウヒ氏下さい
勝ってるのに負けた代表格がピュロスなら、負けてるのに勝った代表格が劉備だと思っています。仲間達と紆余曲折の果てに国をつくり、最後は意地をかけた戦で完膚なきまでに敗れてこの世を去る。やっぱり熱いですよこの英雄は。
歴戦の劉備から見たら諸葛亮はまだ若造に見えた可能性は
講談で色々付け加えられる過程で、南北朝の段階で劉備が勝ったらよろこんで曹操負けたらざまぁwwだったらしい 「逃げられる」戦で無事逃げられるってのは戦の才能としては段違い(夷陵は皇帝初の親征という手前、収穫無しの撤退は許されない)という、演義とはまた別ベクトルで英雄なのはガチ
品行方正な演義ベースの劉備に馴れていたところに蒼天航路のワイルドで野心的な侠客・劉備はすごく魅力的に映ったなあぶっちゃけ曹操を敵に回して生き残って、地方政権の成立にまでたどり着ける人物が謎のカリスマだけの無能であるはずもないよね
かなり魅力的だったと思うよ。政略結婚だったのに、孫尚香は劉備に惚れちゃうから。
劉邦の子孫ですからね。
蒼天航路、TV版の劉備の声、あおい輝彦でやって欲しかったな。劉備の口調がチャキチャキの江戸言葉だから、あしたのジョーの矢吹丈のまんまがすごくハマる。
@@レイワノリココ 您們好!!あれはあれで良かった気がする。あおい輝彦の劉備は優等生感が出ちゃって蒼天劉備みたいなヤクザっぽい感じが出ないと思う。シナノ企画版の劉備があおい輝彦さんだけど、やっぱり優等生で正義の味方って感じが出ちゃってた。
「戦い戦い、また戦い」のなかで急に「ヨソの若者」諸葛亮と仲良くなれば、そりゃ「義兄弟」の関羽も張飛も怒っちゃうな……
必ず人間を基本としなければいけないって、うちの社長にも見習ってほしいわ😂さすが劉備!👏
孔明と同じで劉備も、【演義で好きになる】→【三国志詳しくなってがっかりする】→【史実の劉備を詳しく知ってもっと好きになる】のパターンですね。曹操もそうですが、英傑と言われる人たちは人間としての魅力がケタ違いに感じます。そしてそういった魅力あふれる人物達が入り乱れ、夢半ばで散っていく切なさこそが、三国志の魅力の本質かなと感じました。子供の時に三国志を読むと、冒険活劇のようでワクワクしながら楽しめますが、大人になるととても味わい深い物語に感じる。三国志そのものが、詳しくなればなるほど好きになる、そんな存在だと思います。
呂布に「こいつが一番信用ならん」って言われても、「お前にだけは言われたくないわ」って思うよねw
同じ匂いがしたのでしょう。
たしかに、腹の底が見えない劉備も呂布にだけは言われたくないだろうな
そのやり取りを一部始終見ていた曹操の心中はいかに…
あんな 乱れた時代ですから裏切られることも裏切ることも いくらでもある時代でしょう。劉備は 三国志演義では とても良い人に描かれていますが そんな人は あの時代だとさっさと殺されていると思いますよ。
以前主さんだったと思いますが「三国志初心者は劉備を好きになり中級者は劉備を嫌いになり上級者は劉備を好きになる」全くその通りかもしれません。自分は恥ずかしながら不勉強で、これまで、また現在でも曹操が好きなのですがこの動画で劉備の魅力の一端を垣間見た気がします。
それは多分孔明のヤツですね「三国志初心者は孔明を好きになり、中級者は孔明を嫌いになり、上級者は孔明をさらに好きになる」的な事を諸葛亮の動画でうぷ主さんは言ってたと記憶しています
三国志に始めた触れたときぐらいに素朴に疑問に思うのが「劉備だけが縁もゆかりもない益州(地図上で言うと生まれ故郷から真逆笑)で王様になる」ってとこなんですがむしろこの事実(中華全土を生涯かけて駆けずり回って最終的に建国する)こそが『流浪の大器』劉備の劉備たる所以という気がしますね
史実の劉備は野心家で任侠肌の人たらし、その後のし上がって一国の第一人者にまで成り上がった梟雄。そう聞くと田中角栄のイメージ……。
確かに劉邦に似ているな・・・
劉秀とは真逆に似てない
@@corjioono7463 劉秀はとびぬけすぎだよ。アレクサンドロス並のロマンあふれる人生を送った超英雄じゃないかw
正史の劉備こそ、物語の主役となりえる人物だった、、なんかジーンとするわ。
ゆっくりで50分の動画作れるのマジですげえよ
このチャンネル、本当に凄いなあ!
「漢」を復興したのに仇の魏を討たずに呉を攻めた。つまり蜀は夷陵で多くの兵士と同時に「国体」をも失ってしまった。劉備もおそらくはそれを認識していて、それが諸葛亮への「君が帝位につけばいい」という遺言に繋がったのではないか。ここから蜀の国力と国体を回復させ北伐にまで持っていった諸葛亮の能力は異常すぎる。
でも一緒に死のうねって言ってた義兄弟の弔い合戦だし、、
@@sjfaow さん 劉備個人の善としては批判するつもりは全くありませんしだからこそ日本でもこれ程語られる物語になっています。でも国家の主催者としての善は全く別の物で、多くの人を犠牲にしてしまいました。難しいところだと思っています。
@@my-eg8ge 当時の呉は魏から王として認められてる状況そういう建前論で言えば漢として討伐する事に矛盾はありませんよ
物凄い政治家であり発明家。そして私欲なし。
演舞の善人すぎなイメージが強くて、特徴のない影の薄い主人公くらいにしか思ってなかったです。演舞では孔明や関羽がダントツ人気ですが、ダークヒーロー的な魅力で演舞が出た当時に曹操も人気あったら面白そう。劉備のエピソードを張飛にしたせいで、張飛のキャラもたった感じですね。個人的に最後の息子が暗愚なら孔明に君が国を奪ってくれと言う言葉が本当に好きです。この人は本当に英雄たったんですね。
孔明は何が国のために大切かという本質に着目し合理的にその本質を追求し続けた一方で、劉備は合理的な思考は行わず、人物の人間性に着目していたのではないかと考えています。劉備も孔明もひとりでは大きな事業を成し遂げ得ず、二人が手を組んだ時に初めて大業を成し遂げたと思います。
劉備が見出す人物は「劉備」にしか扱えない戦乱向けの人物(関羽や魏延や、私怨で権限私物化で復讐いじめする法正等)、孔明が見出せる人物は孔明「亡き後」でも機能する人物(蔣琬や費禕、董允等)って点も割と見逃せなかったり
@@フォード-i1w 諸葛亮に高く評価され秀才の誉れ高い劉巴は早死にしてますが、これって劉備に暗殺されたのでは?と思っています。なにしろ義弟の張飛を散々馬鹿にしていて劉備を激怒させていましたから。
@@クレイジーキッド 張飛はかなり名士とかにはかなり下手というかかなり交わりたがりで熱心だけど生まれのせいでまるで相手にしてもらえず・・・関羽も名士系とは仲悪いけど皆性格大概パターンもあったり(潘濬は呂壱事件で豪胆すぎて衝突する一面あったり、廖立は関羽のことを猪突猛進で人を見下すと罵る割に自分は李厳より格上の待遇にならんのをグチグチ垂れる問題児)そして楊儀は関羽によって登用されるというww
曹操陣営で同僚の悪口を言ったり、グチグチ垂れる陰湿な奴がいないのは、やはりすぐ処刑されるところと元から曹操は自分にゴマスリする輩を嫌いで登用しなかった点が劉備陣営と違う点です。 劉備陣営の後から外様組と袁紹陣営は元から自分の出世目的で同僚の悪口やら、足を引っ張る奴だらけになっていくのが、曹操が強い理由の一つですね。
677う
歴史は多くのピースを失ったパズル残っているピースの絵柄が美しければ美しいほど、失われたピースを想像力で絵付けする――自分好みに
劉備大好きなので動画ありがとうこざいます一点だけ気になったことは、孔明はこの動画の最後に言われるほど魏延を冷遇してはないと思います
劉備の死から40年も持たせたのは孔明の力が大きかったとはいえ劉禅を暗愚と切り捨てる程酷いものだったとは思えないな。孫家の混乱からの滅亡や晋の成り立ちとその後を考えるとなおさら。
この人が居なかったら曹操は赤壁で負けたとしても天下を取っていたであろうし、曹操が居なかったら、この人が天下を取っていたであろう。袁紹は曹操ぐらいの勢力になった時点で内輪揉めで消えていったであろうし、孫権陣営は君主1強ではなく、豪族の合議制だったから、天下を狙うのは難しかっただろう。
劉備がいなくても赤壁の戦いでは呉の孫権はかっていますよ。赤壁の戦いは 周瑜がいたので勝てたのですよ。赤壁の戦いの時に 劉備の活躍については ほとんど記録がありません。
@@黒猫白猫-u4g それがわかっている上で、赤壁後の話で言ってます。劉備が蜀入りしてなければ、おそらく漢中攻めの勢いで蜀は曹操に取られていた可能性が高いし、そうなれば第二の赤壁でも起きない限り、呉の巻き返しは厳しいかと。一度失敗した曹操が同じ失敗を繰り返す可能性も低いでしょうし。それこそ史実ではそのころ周瑜は亡くなってますからね。まあ、それでも曹操も寿命が近づいているので、曹操一代では統一出来なかったかもしれませんが。
中国の歴史っていうシリーズの本で劉備は負け戦上手であった、彼はなぜか負けて転々とする度に勢力が増えたのであるっていう謎すぎる記述があった
古代中国の兵法書『三略』に「弱は人の助くる所、強は人の攻むる所なり」という一節がありますが知ってか知らずかはからずも劉備の勝ち負け度外視で『強者にケンカを売る(結果、ご指摘の著書の記述のように「負けて転々とする」ことになる)』生き様が同調者を集めたというのは不思議なようでなかなか的を得た指摘ですね 実は現在でも「敢えて勝ち負け度外視で『大きなプロジェクトをぶち上げる』、『大きな敵にケンカを吹っ掛ける』ことで人を集める(同調者、賛同者を集める)戦略はたびたび使われており近年では橋下徹の『大阪都構想』、小泉純一郎の『郵政民営化』、立花孝志の『NHKをぶっ潰す』等々が近い類ではないかと考えられます(なかにはご本人自身は本気で勝つ気まんまんだった物もあるかも・・・全部そうかもしれませんが笑)
@@kappanouen はー!もしかしたら劉備ほどの大物になると勝っても負けてもどう勢力を伸ばすのかっていうのが頭に入っていたのかもしれませんね。私だったら負けても死なないためにどうするかという程度しか考えませんが、彼ならそういう次元を超えて、他の土地でも部下浪等を引き連れていってどうやって勢力を増やすのかっていう事が計画的にやってたのかもしれませんね。あれほど曹操に負けて流浪を続けて、移住した土地で次々と勢力を作っちゃうのはそれができてしまう当時の中国社会の特殊性とか、劉備の類稀な能力というか。とにかく世界史上でもあまり例がないような気がします。
遠い先祖の劉邦も項羽と争って漢を建てる時似た感じで記述されてなかった?
この時代の先が蛮族の世紀になるから今まで三国志は美化されていたと思う
元祖逃走系主人公
桃園の誓いはある種の呪いだったんだな…最強のバフでもあり凶悪なデバフでもあるこの誓いがこの演劇の悲劇性が人を感動させてるよね
演義だけどな
関羽と張飛がいるから、劉備が偉く見えるのか、劉備が凄いから関羽、張飛が名将に見えるのか実際どうなんだろう
結局、劉備は関羽と張飛の上から目線態度とパワハラ体質を一緒に居る間は諌めるも結局、離れた地域の郡将に命じたら、二人とも傲慢さから命を落とした結果となりました。 二人の弟が護衛&用心棒として最強だったことも劉備が乱世で生き延びたこともあります。 ご先祖様の劉邦と違うのは、曹操という兵法の大天才が強敵にいたことが劉備が天下統一できなかった最大の理由です。
黄巾の乱から始まり、三国が鼎立するまでに生き残れた君主って劉備と曹操だけだもんね。それだけでも劉備は別格だと思うよ。
劉備は清水次郎長ってこの動画の前にどこかで読んだことあるけど、その時は本当しっくり来た記憶。
昔から劉備評は「気の良い山賊の親分」「負け戦上手(劉邦や徳川家康と同じスキル)」「風見鶏(機を見るに敏)」と天下人の要件を満たしてたのに曹操が居たから天下人になれなかった。曹操、恐るべし
劉邦と家康は負け戦上手じゃねえわ(^_-)特に徳川なんて野戦メタクソ強くて小さい戦では基本勝ってる。寡兵で武田に挑むくらいだからな。普段どんだけ勝ちなれてるかってレベル。決して無謀ではない。劉邦軍は兵站が強過ぎた。その点、元就とか秀吉とかはガチの負け戦上手よ。三國は曹操、周瑜とかね。
@@話ズ でもまあ劉備も戦術レベルではかなり強い曹操や呂布の強大な軍にはなかなか勝ててなかった(それでもまあまあ善戦してるし最後は勝ってる)だけで、それ以外においてはかなり強い一回の将軍よ
最後の戦いはかなりしくじりではあったが一世一代で皇帝にまで上り詰めた劉備はまさに英雄。
袁術も一世一代で皇帝にまで上り詰めた英雄
王莽も(以下略
史実の方がリアリティーあって良いなぁ
「この時代は董卓や袁術みたいな奴ばかりだからな」「詳しくは、董卓を見てね」袁術「そういやおれ、まだ紹介されてないやん」
偽皇帝…
歴史の勝者は曹操だけど立ち回り的には劉備を主人公ポジに置いた方が物語的には絶対にウケるよなぁ…って着想からニヤニヤしながらノリノリで色々盛ったり改竄してったと思うと三国志演義作ってるときの羅貫中楽しそう(笑)
改竄て、創作と言ってくれ。劉備が主人公なのは羅貫中以前の三国志物語からだし。だいたい羅貫中自身の書いた演義はもはや現存してなくて今に伝わってるのは李卓吾版とか毛宗崗版とか後世の人が書いたものだし。あんまり羅貫中を過大(あるいは過小)視するのはどうかと思う。
@@くにさん-w1u うん、パロディや二次創作と言ったほうが適切だったかもしれん(笑)つまり陳寿(+裴松之)のが魏書、呉書、蜀書として編纂制作した公式アンソロジー本で演義配布した同人サークルの時代を超えた伝説のサークル部長が羅貫中…って認識でおk?
@@津巣-b3o というか陳寿(+裴松之)の三国志は歴史書三国志演義は小説、ジャンルが違う小説なのだから史実とは異なる所があるのは当然三国志演義は目の肥えた現代の読者にとっては正直古臭さを感じるが古典なのだからそれは仕方がない演義をバカにしてれば通ぶれるという最近の日本の三国志ファンの風潮は心が狭いと思うよ。
羅貫中って日本の小説家に例えると山岡荘八のイメージが浮かびます。信長・秀吉・家康のエピソードなどは言い伝えや講談を経て小説の定番になったものがあり、山岡荘八はズバリ「講釈師になったつもりで書いた」と言っていましたからw
いや曹操は皇帝でもないしその後のドタバタぶりと部下の司馬懿一族に乗っ取られたから負け組
40:00 曹操は子供も結構ロマンチストが多いからね。あと、やっぱり曹操は劉備のこと好きなのかもね、自分と並び立つ英雄って評価しているし、できれば生かして配下にしたかったのかも、、、さすが人材コレクター。46:30 この時は張飛もいないから劉備は本当に死にに行っていたんだなぁと思ったり。
桃園の誓いを結んだ兄弟もこの世を去り、復讐心と同じ位に死に場所を求めていたのかも知れませんね。真三國無双3の死亡時のセリフ、「あの桃園へと帰るか…」を思い出して切なくなりました。
これだけの英雄豪傑が戦った三国時代の後が、八王の乱と北方民族の侵入が引き起こした混乱だからねえ。諸行無常と言うしかない。
北方異民族はともかく八王の乱は司馬一族のやらかしですよねえ…
劉備、正史ベースでも十分魅力的な人物だな。正史ベースの漫画が読みたいな。
決して善人ではない、しかし「善人」をセールスポイントにして世渡りをして行ったのは間違いないと思うのです。
蒼梧太守の呉巨と何故か知り合いなのが長年の謎だったけど、16:47の丹陽の時に知り合ったと考えると合点ですね
サムネが妖怪の密談なんよ(笑)
関羽 張飛のような豪傑が命を捨てても構わんってくらいに惚れたんだから、劉備はそれ以上の豪傑だったのかな?
天下の趨勢がほとんど確定した状態でも、小さな新野城で絶対に諦めない劉備と仲間達。それは劉備の死後も孔明、蔣琬、魏延、姜維と引き継がれていく。
北方三国志の劉備はいい味なキャラと思う
負けても負けても戦う継続する強い意志は今のメッシと通じるところがありますね!
桃園のちかいの兄弟の順は木のぼりで決まったとか劉備は木の根っこに関羽は真ん中そして張飛は木の上にいたというエピソードがあります。
英雄と呼ぶに相応しい人物だけど夷陵の戦いだけは本当に余計だったなあ
まああそこで突っ込まない劉備はなんか違いますし
とは言え、夷陵の戦いをやらかす性格だったからこそ、多くの部下がついてきて建国に漕ぎ着けたとも言えるので、判断が難しいですね。状況は違えと、劉縯(光武帝の兄)も更始帝により粛清される危険性が高いと知りつつ、自分のところで養っていた食客を庇うことを選んだように、結果が判りきっていても自分が寄って立つものを維持するためには、やらざるを得ない時ってありますからねぇ。
魏と比べて蜀のダメな所は古参が大軍のトップを任される事だ。関羽、張飛、劉備。いずれも歴戦の勇だが大軍を率いるタイプじゃない。魏は古参も前線で使ってもらってる。
@@ys4414 そもそも新参古参関係なく、人手不足なんですよ。蜀には彼ら以外大軍を率いる将軍が諸葛亮位しか居なかったですからね。
三兄弟が出会った時の関羽と張飛の具体的年齢はわからないんですが関羽は特に記載されていないので劉備と変わらないぐらいと思われるのに対して張飛は何と「けっこう若かった」とわざわざ記載されているんですよね(^_^;)漫画とかだと登場時いきなりひげ面あんちゃんですが(笑)その辺ちょっと事実とは我々の認識の方が違うのかもしれませんね笑笑 ちなみに張飛のあのいわゆる虎ひげも具体的記録はなく伝承の中で勝手にイメージされてついた「豪傑なら髭もワイルドやろ👹」という民衆の想像の産物らしいです( ´艸`)
三國志の英傑たち、全員しくじってる説演義の劉備は聖人君子キャラなのに、呂布の「こいつが一番信用できないぞ」のエピソードがあるの好きあと、このチャンネル袁紹のこと毎回めっちゃディスってんな・・天下を取るまでの器で無かったとしても、天下を取れなくても英傑だった人物はたくさんいるわけだし、そこそこのレベルはあると思うんですけどね
実際正史の劉備は呂布並みに裏切りだしな
まぁこの動画内でも言われてるけど敗北(しくじり)を糧に成長して大きくなるのが英雄(英傑)なわけでw
@@corjioono7463 呂布とは違って主君殺しはしてませんけどね
袁紹はすごかっただが、名士と豪族の争いに悩んでたんだと思います孫権なんてそれで狂いましたからね袁紹は運に恵まれなかった
袁紹は官渡で曹操に勝っていれば、曹操と立場が逆になっていただろう。
お疲れ様です。三国志演技の劉備は嫌いですが。正史の劉備は大好きです。
才能の一言だけで一代で国を起こした人物として凄い人物だったと改めて感じた。「人物眼」だけで?英雄にのし上がった器量、見習いたいものです。決して技量がある、誰よりも強い、お金がある、運を持っているetc.だけが偉人じゃない。
漢室に誇りを持ち、献帝を蔑ろにする曹操の打倒を決める劉備の忠義心が好きです。たとえそれが演義の虚構であったとしても…
まあ、蜀が中華を統一すれば一応漢室は復興するし多少はね?
来たー!ついに演義の主役がきたー!
演義寄り正史の劉備が好き、劉邦の子孫ならむしろしっくりする。
蒼天航路の最終巻で、関羽は神に、劉備は物語に、という一節がありますが、なるべくしてなったのだと思います。さて、うぷ主は誰が一番好きなのだろう?曹操?
張角が関羽に『貴方は後の世で神になる御方だ』という部分もあるな( ・ิω・ิ)
佞言絶つべし👋
@@HULKSTAR1986 あれは関羽らしい気迫のある描写だったな( ・ิω・ิ)
横山光輝三国志、蒼天航路があるから劉備、曹操に愛着が産まれるけど、孫氏の魅力的なマンガがない。三国志なのだから誰か孫氏を魅力的に描くマンガないかなあ。周瑜が公明をやりこめるような。公明が狡猾に描かれるだろうなあ。周瑜が主人公側だと公明のことあの二枚舌がとかいいそう。孫氏側が主人公だと周瑜が主人公に1番向いてます。
@@デカエルチャンネル-z1t 賛否ありますが、映画レッドクリフは周瑜が主役でしたね。確かに孫氏を推す人は少ないかも。皆、周瑜、陸遜、甘寧、辺りを推す人が多い気がします。諸葛恪はほぼ見かけませんが。
呉討伐戦(夷陵)は関羽の弔い戦というのは表向きの名目で、あくまで北伐実行の為の荊州奪還が目的だったと思っている。弔いではそれまでの劉備の身の振り方と違和感あるし、夷陵で堅陣を敷いて手堅く攻めていた戦い方も弔い戦とはとても思えない。孔明はこの事を知っていたから諫めはしたものの益州の留守を守ることに徹していたと考えると合点もいくし。
呉は魯粛、呂蒙が短い期間で亡くなっていて(劉備の視点からしたら)文官上がりの若造の陸遜が都督になっている状況ですからねこういう状況でベテラン武将が陸遜の言うことなかなか聞かないことも劉備はよくわかってますし勝算はあったんでしょうね北伐できる程度に荊州奪還して手打ち、ってのが狙いだったと思います
関羽が死んでから2年後とかなんですよね夷陵の戦い。敵討ちならこんなに期間は空けないと思うのでその通りかと思います。
本宮ひろしの主人公みたいな感じだったんだなあ劉備
あんな昔に立看板なんかあって字も読めるのか、すごいねぇ
蜀漢正統論は中国では特に中原を異民族に奪われて漢民族の王朝が南に逃れていた時期に盛んに唱えられた。これは「王朝の正統性は中原の領有にに基づくものでは無く、血筋に基づくものだ」とする蜀漢正統論が現実に中原を失った王朝にとって都合が良かったから。
いつも楽しく拝見しております。ここ最近の三國志シリーズは大作が多くて見応えありますねぇ!季節の変わり目なので、お身体にはお気をつけて。☺️
動画感謝
敵が曹操でなければ劉備が劉邦のように天下統一していても不思議はない。それにしても三国志は統一した司馬氏も含めて真の勝者がいない(司馬氏は統一時点ですでに崩壊が始まっていましたし)という点に諸行無常を感じます
劉備は一応自称ですが「漢の皇帝」に成ってます。これが天下三分の計。
名前を見ると光栄三國志BGM:桃園の誓いが脳内再生される・・・時の河 派の方もおられる事でしょう
英雄というのは負けても生き延びるんですよね。劉備も曹操も。孫堅、孫策は大敗したわけではないのにあっさり死んでしまったそれも天命というものなんでしょうか‥
なんかこう、人々は劉備に劉邦や劉秀の面影を見たんでしょうねぇ。劉秀は当時のイケメンで、劉備は異なる親しみの湧く外見という違いはあるけど。
そもそも 劉備本人は漢の景帝の末裔と名乗っていましたが本当かは全く分かりません。中国では 劉という名前の人はいくらでもいます。また自称 何々の末裔という人も中国にも日本にもたくさんいます。日本だと家系図を作ってくれる商売も 昔からあります。徳川家康は松平という家に生まれたことは分かっていますが、その 松平家がどんな家だったかは学問的にははっきりしていませんが、源氏の流れを汲むということになっています。
偽善者の人たらしでも、好きですよ。劉備は大徳の人。やはり、劉邦の風格が備わっていたのではないでしょうか。諸葛亮を始め、配下の功績も大きいですが、凡人が、蜀漢の皇帝にはなれません。
劉備が弱かったら、そもそも関羽も張飛もついてこないんだよね
41:46 終盤に漢中で劉備と曹操が直接激突する折に、劉備は一度も勝ててない、わけでもなく赤壁の戦いで一応曹操軍を撃退したのは劉備軍ですね。216年曹操が魏王、219年定軍山の戦い、220年後漢滅亡、曹操が没、221年劉備が蜀漢の皇帝、223年劉備が没。時系列忙しい。
長板波の戦い前の博望波で夏侯惇于禁10万の軍を単独で破ってるね
諸葛亮は劉備の東征を諫めていなくて、賛成もしていない。ただ劉備が陸遜に大敗したという報告を聞いて「もし孝直が生きておれば東征を思い留まらせたあろうし、もし出来なかったとしても、このような大敗を防げたであろう。」と呟いただけだった。
何度負けてもチャレンジし続けて、世界史に名を残した、って点でいうとリンカーンみたい
正史で孔明は劉備の呉討伐に反対していないんですよね。天下三分の計は、孫権との同盟とともに、荊州と益州を合わせ、両方から曹操を攻める戦略。だから荊州南方は孫権に渡しても問題無く、洛陽や許都に近い荊州北方こそ重要。荊州を全部孫権に渡すなら、確かに涼州というもう一つの攻め口が必要。奪い返せるなら荊州南郡があれば足ります。だから劉備の荊州奪還遠征は戦略として間違ってないんですよね。ただ、それは蜀から見ての話で、呉には呉の事情があり、人口イコール国力のこの時代、荊州はどうしても必要な地。天下三分の計は劉備の為の戦略だから、呉にはほとんど得が無い。理想論を言うなら、魏への攻め口である南郡だけ取り戻す為、劉備が兵で脅し、外交で割譲と再和平で良かった。多分この辺で、全土奪還か和平再開か方針決まってなかったかと。劉備は普通に強いし呂蒙死んでるから、荊州全土取り戻せるという思惑が強かったかと。というわけで、かつて劉秀が漢再興をした地であり、最大の人口と、直接洛陽に繋がる荊州南陽を抑え、合肥では張遼をもって孫権を撃退し、呉にこの方面での勢力拡大を断念させた曹操高みの見物って事ですね。前漢の故地漢中と、後漢再興の地南陽、両方を劉備が抑えていたなら歴史は全然違ったでしょう。(となると、劉備最大のしくじり夷陵の戦いは、劉表死後にさっさと荊州を奪いに行かなかった時期に種が蒔かれていたかも)
蜀だけではジリ貧で打倒曹魏どころかいずれ滅ぼされると見越した上での荊州侵攻だったと思うんですよ夷陵で再起不能なまでの大敗で生きる気力も尽きてしまったのでしょうね漁夫の利で天下も狙えたかもしれない魏としてはあの状態から呉蜀の再同盟は衝撃だったでしょうけど
実は夷陵の戦いで蜀は人口90〜100万人の小国で15万人も農家の次男・三男を徴兵して、その兵士の大部分を失った大敗なので、国力ガタ落ちです。 劉備死後、諸葛亮が政治・軍事の全権を掌握して塩・鉄の専売、軍事独裁を強化して富国強兵に努めたのは、小国としての事情です。 孫権の呉人口は忘れましたが、荊州人口60万人、魏は人口500万人だったと思います。
!!!昔の肉屋さんって、、、武将としてのポテンシャル凄いねw 水滸伝にもいたね!
「刃物を使いなれている「たんぱく質豊富な食事」「儲かっていれば金持ち」戦士としてのポテンシャルは高そう。
@@001lonestar7 ねw
樊噲も肉屋だったよね。
@@YOSHI-lg7kr 様どの古い中国史英雄伝説記でも必ずというほど元肉屋さんからのし上がる武将出てくるよね!びっくりねw
何進「そうか、俺も武将としてのポテンシャルは高いのか」
これだけの内容を50分でまとめていただき、ありがとうございます。一点おしえてくださいませ。37分30秒の【孔明を呼び寄せねばならない事態~このことが後に大きな悲劇】⇒どのような大きな悲劇を巻き起こしたのでしょうか。宜しくお願い致します
①孔明が蜀に呼び寄せられる②荊州の守りが関羽だけとなり、手薄になる③関羽が魏と呉の計略にかかり、自身は討ち死にし、荊州が奪われる④関羽を失った劉備が私憤に駆られて呉と戦を決断する⑤張飛から無理な戦準備を強いられた家来が要求を果たせずに、張飛から折檻される⑥折檻された家来が、保身のために張飛を殺害する⑦関羽と張飛の両方を失った劉備はますます私憤に駆られ、呉との戦いで冷静な判断ができない⑧呉の都督 陸遜との夷陵の戦いで、それまで育成した数十万の蜀軍を一気に失い、失意の中で劉備が世を去る⑨荊州も呉に取られ、魏に攻め入る北伐の最短侵攻ルートを失い、孔明が苦しい戦いを強いられる⑩あと一歩のところで魏の司馬懿に敗れ、失意の中で孔明も世を去る
@@akikawa2540 ありがとうございます!!荊州失落がすべて・・・思ってますので、そのキッカケに繋がる事態だったと認識できました!
ホウトウが戦死してなかったら多分、関羽は孫権とうまくやってたろうな孔明の助言なら聞き入れるからね(だから劉備も益州攻めに孔明を連れていかず残したんやろ)
三国志の何かの漫画であったなぁ、曹操、劉備が没した辺りでまだ三国鼎立してないことに触れ『バカヤロウ!始まってすらねぇよ三国志!!』というのが。
42:38 この頃の趙雲はボディーガード団長のようなもので…
ベタだけど蒼天の劉備が一番良かったな。
他の作品の劉備を見ても何でこれで人望があるのかわからないけど、あれなら確かに人が付いて行くだろうなって納得は出来ますね(´・ω・`)
演技が架空、って印象の反動で普通の三国志は全部実話。みたいな印象が強くなりがちだけど、普通の三国志に架空が入ってない理由なんて一個も無いよな...(これはあらゆる歴史に言えてしまう事ですが...)
表舞台に残る歴史は、すべからく勝者が改竄したものだから
劉備と曹操の若い頃、バージョンで漢の監察官が賄賂を要求して曹操は役人を百叩き、劉備も木に縛って役人をボコボコリンチが共通事項です。 曹操が劉備を 「英雄は自分とあなただけだ!」と評したのは、納得です!
劉備没後40年、孔明没後30年蜀を維持した劉禅は本当に暗愚だったのか?
暗君だと思いますよ。当時の魏は司馬一族のクーデターや内乱勃発でとても大軍で外征出来る状態じゃないですから
@@masatonamiki1978 演義と正史の区別ができてない人って多いよね帝位(国)を40年維持した皇帝があの大陸に何人いたと言うのか司馬昭とのエピだって司馬懿や永楽帝が呆けたり狂ったフリをしてみせたってエピを踏まえてみればまた違った解釈もできように劉禅は宮沢賢治が成りたいと願った「サウイウモノ」かもしれない
中途半端に賢い奴より、正真正銘のアホの方が長生き出来るんですよ。
わらじ売りから始まったのに20代前半で県尉、30歳そこそこで国相二千石、33歳で州刺史、48歳で左将軍兼州牧、40歳位で天下に自分より偉いやつは曹操と袁紹しかいないという経歴的にも規格外の人です。曹操が劉備を自身と同レベルに評価しましたが、戦場の最前線で戦うタイプの二人なので集団心理の掴み方や操り方など、曹操が言うように軍事的には類似点が多かったのかもしれません。戦場では死なないし、逃げたと思ったらすぐに兵力を立て直すし、とにかく敵に回してこれほど厄介な相手はいないでしょう。赤壁、漢中で曹操を打ち破っておりこの時代最強クラスの将軍です
いつも狩りの時に関羽が曹操を切っていたらを考えてしまう関羽なら本気なら切れたろうし劉備達も生きては逃げられないそうなったら袁紹VS孫権なのかな
どっちもどっちで統一王朝は無理そう、よくて南北2国。五胡十六国のように各地で独立勢力が跋扈する時代が続いたと思います。
もし、劉備のライバルが曹操じゃなくて、呂布だったら、劉邦の再来になれたかも知れませんね。
10:14う〜んなろう主人公?
この年になって知ったけど軍師雇う前から戦争強かったんだな。
三国志演義やそこからくる横山三国志よりも魅力的な人物ですね。敗戦のたびに強くなるってめちゃめちゃ主人公感あるし、読み物としても聖人君子として描かれるより面白い気がします。とはいえ、劉備亡きあとの描写については劉備がお飾りで孔明が傑人として突出してる方がよかったのかも
演義劉備は嫌い 正史劉備は好き
劉備玄徳はやめよーよ劉玄徳ってさ わかってるんだろうしわかりやすくしたいんだろうけど最低限文明・文化に敬意は払おうよいい動画作ってるんだからさ
蒼天航路の下町のおっさん臭い劉備が好きです「中華の北斗七星・劉玄徳!これより天下を取りに出かけるぜ!!!」
ゲームの三国志で武力が高いと思ったら演義じゃなくて正史によるものなのか・・最近はゲームの武将列伝も正史と演義両方の記述があってよき。
関羽が独立勢力みたいになったのが悔やまれる。コントロールできなかったかな?基盤が蜀じゃあジリ貧だったし、コレが限界だったかもね。後世にも名を残せたし、ゲームで孫権の妹とラブラブになるし、よく頑張りました。
蜀が滅んだ最大の理由ってどう考えても桃園三兄弟のポカだよな。そのツケを払わされた息子の劉禅が本当に可哀想。
とはいえ、三兄弟の誰か1人でも欠けたらそもそも蜀という国自体無い訳で。
@@こおりあめ-n2d 自分たちで国を興し、そして滅ぶ理由を作ってしまったのか。なんだか切ないな。
まぁ、ほぼほぼ徒手空拳、何も寄って立つところがない状態で、一から国を興したんですから、彼らからすれば「最初に国があるだけマシだろ」と言ったところじゃないですかね?とは言え、その国がほぼほぼ詰み状態で、しかもそれを継いで、順当な結末を迎えたら必要以上に後世罵倒され続けている劉禅には同情しますが・・・
@@酔狂-i9o 守りを固め続けて、司馬衷の時代まで持ちこたえれば、生き残れたのにねw
@@tevalleyluckman8746 逆に、その時代まで三国時代(か二国時代?)が継続してたら、後継者選定に実力とかが加味されて、もう少しまともな人が皇帝になった可能性も・・・
この荊州問題への劉備のノラリクラリ対応をみると、失陥の責任の多くを関羽に求めるのも酷な気がするなー孫堅ともピリピリしてるのに漢中攻めと連動した対曹操の動きも求められたんじゃないかと嫁を断った話も「本国に確認するから待って!」「お、できないの?おれ怒っちゃったなー」みたいなやる気満々の孫権の口実つくりかもまあこんなの考え出したらキリがないね
陶謙のニックネームは強盗将軍
玄徳が五湖十六国時代に生きていれば、数百年も戦乱の世が続かなかったかもと思う。有能な武官や文官は多かったけど、人と国を纏められる英雄はいなかったからね。
劉備見てたら、劉邦の生まれ変わりなんじゃないかってくらい、人間性や境遇などが似ている。劉備も劉邦も低い身分から、頭角を現し、国を建てたこと、人たらしと呼ばれるほどの人望・カリスマ性の持ち主であり且つ多くの英雄・豪傑・知将を従えていたという点も共通している。
劉備の惜しいところは官渡、赤壁と大事な大戦で脇役なんだよね。
「逃げる」スキルが優秀過ぎる。
劉邦の子孫の証はこれだと思うw
一番重要な能力ですよね❗
納得してまうwww
劉邦と劉備共に逃げる途中、自分の子供を馬車から投げ捨てたり、家族を敵地へ置いてけぼりにしたりは共通しています。
余計なプライドが命取りに………
黄巾の乱から義勇兵を指揮して、敗戦を多く経験しながらも命を永らえて戦い続けた男ですから、決して弱いわけがないのですよね。
曹操にとっては一番やっかいな存在だったんだろうなあ。何回勝っても逃げられてまた挑み返してくるし。
逃げるのが上手いというのは、曹操や袁紹もだから一種の才能らしい。生きるが勝ち
図解雑学の三国志でも解説されてたけど、劉備はかなり戦上手で、孔明も劉備が存命時は基本的に裏方に徹している。(劉備の手腕を信頼していた)
劉備の死後、孔明が最前線に出なければいけない状態になってしまった。
😅
何度も危機に瀕しながらもその度生き長らえ、最終的に皇帝にまでなれたのはさすがに凄すぎる。
どこへ行っても指導者として担がれるのはもはや天才
英雄が英雄たる所以
「愛する者のために我が身を捨てて戦う者、人、それを英雄と言う」
夷陵の戦いは間違いなくしくじりですが、やはりこの戦いを決意した所も含めて劉備は英雄なんだなと思いました。正史の劉備はカッコ良すぎますね……
何で公明助けてくれなかったんだろ
@@sjfaow 諸葛亮が夷陵の戦いに従軍しなかったのは様々な理由があると思いますが、主な理由としては首都である成都を守るためだったのかなと思います。それに加え、動画内でも触れられていたように劉備の軍事能力は非常に高く、諸葛亮はそれを高く評価していて付いて行く必要が無いと判断したのかもしれません。実際、史実では劉備の生前に諸葛亮が軍を指揮することは無かったようですので、それだけ信頼を寄せていたのだと思います。
また、そもそもとして諸葛亮が国政を預かる者として夷陵の戦いを止めなかったことについても様々な理由があったと思いますが、その主な理由として、荊州という土地の重要性、呂蒙の死が挙げられるのかなと思います。
まず、荊州という土地の重要性、これは諸葛亮の基本政策である隆中対の中でも重要視されており、諸葛亮は曹魏を攻める際に漢中と荊州からの同時進行による二面作戦を考えていました。更に、蜀漢を支える名士は「荊州という土地における名声」を基盤に持つ、いわゆる「荊州名士」が多く、荊州の奪還は『重要拠点の確保』と『政権の安定化』に繋がります。
次に、呂蒙の死ですが、この人物は動画主様も動画化されているように、あの軍神関羽を破ったとても優れた軍師です。そんな彼の死後、後釜に据えられたのは孫家と確執のある陸遜。これは、他の方がコメントで述べられているように、この陸遜の言うことに孫堅以来の宿将は反発するであろうと考えていたのだと思います。
ただそれでもやはり、蜀漢の国是として漢の復興を掲げている以上、曹魏ではなく孫呉に攻め込むというのは大義名分が薄く、劉備の個人的な私怨による所が大きい行為です。それでも尚、諸葛亮が止めなかった、止められなかったのは、劉備関羽張飛の3人の任侠的な結びつきに諸葛亮が入っていけなかったという事なのだと思います。関羽と張飛は旗揚げ以降、文字通り命を張って劉備を助けてきました。その二人のために、大義名分も何もかもかなぐり捨てて孫呉に戦いを挑むということは、劉備の生き様の全てだったのです。その生き様を否定する事が諸葛亮には出来なかった、或いはしなかった、そのため諸葛亮は劉備を助けることが出来なったのだと思います。
@@sjfaow 劉備の方が、口うるさい(訳ではないのだが…)孔明を遠ざけてたようだ、とも言われてるね。
敗戦の報を受けた孔明が、「ああ!法正(蜀の生え抜きで当初より劉備に益州奪還を願っていた軍師。前年だかに病死)さえ生きていれば出兵を止められたし、仮にそれが無理でもここまでの負けはなかったのに!」と嘆いたらしいので、夷陵の戦いでは、もはや孔明は手出しできない状況だった模様。
劉備本人は夷陵の戦いはしくじったつもりはなかったんじゃないかと思う。
あそこで純政治的に、純政略的に行動することで「自分が自分でなくなってしまう」ことの方がずっと怖かったんじゃないのかな。
「劉備玄徳という人物は最期まで「任侠の人」であって、「一国を統べる皇帝」になりきれなかった」
というのが全てだったんじゃないかと思う。
裏切りが当たり前の時代に赤の他人3人が命が尽きるまで離れなかった事が素晴らしいと思う。
た、
リ、?。かから?くだ
リ?!。かかな!くだ
りむぬえ。かさ!くだ
ウヒシしたから
ウヒ氏下さい
勝ってるのに負けた代表格がピュロスなら、負けてるのに勝った代表格が劉備だと思っています。仲間達と紆余曲折の果てに国をつくり、最後は意地をかけた戦で完膚なきまでに敗れてこの世を去る。やっぱり熱いですよこの英雄は。
歴戦の劉備から見たら諸葛亮はまだ若造に見えた可能性は
講談で色々付け加えられる過程で、南北朝の段階で劉備が勝ったらよろこんで曹操負けたらざまぁwwだったらしい 「逃げられる」戦で無事逃げられるってのは戦の才能としては段違い(夷陵は皇帝初の親征という手前、収穫無しの撤退は許されない)という、演義とはまた別ベクトルで英雄なのはガチ
品行方正な演義ベースの劉備に馴れていたところに蒼天航路のワイルドで野心的な侠客・劉備はすごく魅力的に映ったなあ
ぶっちゃけ曹操を敵に回して生き残って、地方政権の成立にまでたどり着ける人物が謎のカリスマだけの無能であるはずもないよね
かなり魅力的だったと思うよ。
政略結婚だったのに、孫尚香は劉備に惚れちゃうから。
劉邦の子孫ですからね。
蒼天航路、TV版の劉備の声、あおい輝彦でやって欲しかったな。劉備の口調がチャキチャキの江戸言葉だから、あしたのジョーの矢吹丈のまんまがすごくハマる。
@@レイワノリココ
您們好!!
あれはあれで良かった気がする。
あおい輝彦の劉備は優等生感が出ちゃって蒼天劉備みたいなヤクザっぽい感じが出ないと思う。
シナノ企画版の劉備があおい輝彦さんだけど、やっぱり優等生で正義の味方って感じが出ちゃってた。
「戦い戦い、また戦い」のなかで急に「ヨソの若者」諸葛亮と仲良くなれば、そりゃ「義兄弟」の関羽も張飛も怒っちゃうな……
必ず人間を基本としなければいけないって、
うちの社長にも見習ってほしいわ😂
さすが劉備!👏
孔明と同じで劉備も、【演義で好きになる】→【三国志詳しくなってがっかりする】→【史実の劉備を詳しく知ってもっと好きになる】のパターンですね。曹操もそうですが、英傑と言われる人たちは人間としての魅力がケタ違いに感じます。そしてそういった魅力あふれる人物達が入り乱れ、夢半ばで散っていく切なさこそが、三国志の魅力の本質かなと感じました。
子供の時に三国志を読むと、冒険活劇のようでワクワクしながら楽しめますが、大人になるととても味わい深い物語に感じる。三国志そのものが、詳しくなればなるほど好きになる、そんな存在だと思います。
呂布に「こいつが一番信用ならん」って言われても、「お前にだけは言われたくないわ」って思うよねw
同じ匂いがしたのでしょう。
たしかに、腹の底が見えない劉備も呂布にだけは言われたくないだろうな
そのやり取りを一部始終見ていた曹操の心中はいかに…
あんな 乱れた時代ですから裏切られることも裏切ることも いくらでもある時代でしょう。劉備は 三国志演義では とても良い人に描かれていますが そんな人は あの時代だとさっさと殺されていると思いますよ。
以前主さんだったと思いますが
「三国志初心者は劉備を好きになり
中級者は劉備を嫌いになり
上級者は劉備を好きになる」
全くその通りかもしれません。
自分は恥ずかしながら不勉強で、これまで、また現在でも曹操が好きなのですがこの動画で劉備の魅力の一端を垣間見た気がします。
それは多分孔明のヤツですね
「三国志初心者は孔明を好きになり、中級者は孔明を嫌いになり、上級者は孔明をさらに好きになる」的な事を諸葛亮の動画でうぷ主さんは言ってたと記憶しています
三国志に始めた触れたときぐらいに素朴に疑問に思うのが「劉備だけが縁もゆかりもない益州(地図上で言うと生まれ故郷から真逆笑)で王様になる」ってとこなんですが
むしろこの事実(中華全土を生涯かけて駆けずり回って最終的に建国する)こそが『流浪の大器』劉備の劉備たる所以という気がしますね
史実の劉備は野心家で任侠肌の人たらし、その後のし上がって一国の第一人者にまで成り上がった梟雄。
そう聞くと田中角栄のイメージ……。
確かに劉邦に似ているな・・・
劉秀とは真逆に似てない
@@corjioono7463 劉秀はとびぬけすぎだよ。アレクサンドロス並のロマンあふれる人生を送った超英雄じゃないかw
正史の劉備こそ、物語の主役となりえる人物だった、、なんかジーンとするわ。
ゆっくりで50分の動画作れるのマジですげえよ
このチャンネル、本当に凄いなあ!
「漢」を復興したのに仇の魏を討たずに呉を攻めた。つまり蜀は夷陵で多くの兵士と同時に「国体」をも失ってしまった。劉備もおそらくはそれを認識していて、それが諸葛亮への「君が帝位につけばいい」という遺言に繋がったのではないか。ここから蜀の国力と国体を回復させ北伐にまで持っていった諸葛亮の能力は異常すぎる。
でも一緒に死のうねって言ってた義兄弟の弔い合戦だし、、
@@sjfaow さん 劉備個人の善としては批判するつもりは全くありませんしだからこそ日本でもこれ程語られる物語になっています。でも国家の主催者としての善は全く別の物で、多くの人を犠牲にしてしまいました。難しいところだと思っています。
@@my-eg8ge 当時の呉は魏から王として認められてる状況
そういう建前論で言えば漢として討伐する事に矛盾はありませんよ
物凄い政治家であり発明家。そして私欲なし。
演舞の善人すぎなイメージが強くて、特徴のない影の薄い主人公くらいにしか思ってなかったです。
演舞では孔明や関羽がダントツ人気ですが、ダークヒーロー的な魅力で演舞が出た当時に曹操も人気あったら面白そう。
劉備のエピソードを張飛にしたせいで、張飛のキャラもたった感じですね。
個人的に最後の息子が暗愚なら孔明に君が国を奪ってくれと言う言葉が本当に好きです。
この人は本当に英雄たったんですね。
孔明は何が国のために大切かという本質に着目し合理的にその本質を追求し続けた一方で、劉備は合理的な思考は行わず、人物の人間性に着目していたのではないかと考えています。
劉備も孔明もひとりでは大きな事業を成し遂げ得ず、二人が手を組んだ時に初めて大業を成し遂げたと思います。
劉備が見出す人物は「劉備」にしか扱えない戦乱向けの人物(関羽や魏延や、私怨で権限私物化で復讐いじめする法正等)、孔明が見出せる人物は孔明「亡き後」でも機能する人物(蔣琬や費禕、董允等)って点も割と見逃せなかったり
@@フォード-i1w
諸葛亮に高く評価され秀才の誉れ高い劉巴は早死にしてますが、これって劉備に暗殺されたのでは?と思っています。なにしろ義弟の張飛を散々馬鹿にしていて劉備を激怒させていましたから。
@@クレイジーキッド
張飛はかなり名士とかにはかなり下手というかかなり交わりたがりで熱心だけど生まれのせいでまるで相手にしてもらえず・・・
関羽も名士系とは仲悪いけど皆性格大概パターンもあったり(潘濬は呂壱事件で豪胆すぎて衝突する一面あったり、廖立は関羽のことを猪突猛進で人を見下すと罵る割に自分は李厳より格上の待遇にならんのをグチグチ垂れる問題児)
そして楊儀は関羽によって登用されるというww
曹操陣営で同僚の悪口を言ったり、グチグチ垂れる陰湿な奴がいないのは、やはりすぐ処刑されるところと元から曹操は自分にゴマスリする輩を嫌いで登用しなかった点が劉備陣営と違う点です。
劉備陣営の後から外様組と袁紹陣営は元から自分の出世目的で同僚の悪口やら、足を引っ張る奴だらけになっていくのが、曹操が強い理由の一つですね。
677う
歴史は多くのピースを失ったパズル
残っているピースの絵柄が美しければ美しいほど、失われたピースを想像力で絵付けする――自分好みに
劉備大好きなので動画ありがとうこざいます
一点だけ気になったことは、孔明はこの動画の最後に言われるほど魏延を冷遇してはないと思います
劉備の死から40年も持たせたのは孔明の力が大きかったとはいえ劉禅を暗愚と切り捨てる程酷いものだったとは思えないな。孫家の混乱からの滅亡や晋の成り立ちとその後を考えるとなおさら。
この人が居なかったら曹操は赤壁で負けたとしても天下を取っていたであろうし、曹操が居なかったら、この人が天下を取っていたであろう。袁紹は曹操ぐらいの勢力になった時点で内輪揉めで消えていったであろうし、孫権陣営は君主1強ではなく、豪族の合議制だったから、天下を狙うのは難しかっただろう。
劉備がいなくても赤壁の戦いでは呉の孫権はかっていますよ。赤壁の戦いは 周瑜がいたので勝てたのですよ。
赤壁の戦いの時に 劉備の活躍については ほとんど記録がありません。
@@黒猫白猫-u4g
それがわかっている上で、赤壁後の話で言ってます。
劉備が蜀入りしてなければ、おそらく漢中攻めの勢いで蜀は曹操に取られていた可能性が高いし、そうなれば第二の赤壁でも起きない限り、呉の巻き返しは厳しいかと。一度失敗した曹操が同じ失敗を繰り返す可能性も低いでしょうし。それこそ史実ではそのころ周瑜は亡くなってますからね。
まあ、それでも曹操も寿命が近づいているので、曹操一代では統一出来なかったかもしれませんが。
中国の歴史っていうシリーズの本で
劉備は負け戦上手であった、彼はなぜか負けて転々とする度に勢力が増えたのである
っていう謎すぎる記述があった
古代中国の兵法書『三略』に
「弱は人の助くる所、強は人の攻むる所なり」という一節がありますが
知ってか知らずかはからずも劉備の勝ち負け度外視で『強者にケンカを売る(結果、ご指摘の著書の記述のように「負けて転々とする」ことになる)』生き様が同調者を集めたというのは不思議なようでなかなか的を得た指摘ですね
実は現在でも「敢えて勝ち負け度外視で『大きなプロジェクトをぶち上げる』、『大きな敵にケンカを吹っ掛ける』ことで人を集める(同調者、賛同者を集める)戦略はたびたび使われており
近年では橋下徹の『大阪都構想』、小泉純一郎の『郵政民営化』、立花孝志の『NHKをぶっ潰す』等々が近い類ではないかと考えられます(なかにはご本人自身は本気で勝つ気まんまんだった物もあるかも・・・全部そうかもしれませんが笑)
@@kappanouen はー!もしかしたら劉備ほどの大物になると勝っても負けてもどう勢力を伸ばすのかっていうのが頭に入っていたのかもしれませんね。私だったら負けても死なないためにどうするかという程度しか考えませんが、彼ならそういう次元を超えて、他の土地でも部下浪等を引き連れていってどうやって勢力を増やすのかっていう事が計画的にやってたのかもしれませんね。あれほど曹操に負けて流浪を続けて、移住した土地で次々と勢力を作っちゃうのはそれができてしまう当時の中国社会の特殊性とか、劉備の類稀な能力というか。とにかく世界史上でもあまり例がないような気がします。
遠い先祖の劉邦も項羽と争って漢を建てる時似た感じで記述されてなかった?
この時代の先が蛮族の世紀になるから今まで三国志は美化されていたと思う
元祖逃走系主人公
桃園の誓いはある種の呪いだったんだな…
最強のバフでもあり凶悪なデバフでもあるこの誓いがこの演劇の悲劇性が人を感動させてるよね
演義だけどな
関羽と張飛がいるから、劉備が偉く見えるのか、劉備が凄いから関羽、張飛が名将に見えるのか
実際どうなんだろう
結局、劉備は関羽と張飛の上から目線態度とパワハラ体質を一緒に居る間は諌めるも結局、離れた地域の郡将に命じたら、二人とも傲慢さから命を落とした結果となりました。
二人の弟が護衛&用心棒として最強だったことも劉備が乱世で生き延びたこともあります。
ご先祖様の劉邦と違うのは、曹操という兵法の大天才が強敵にいたことが劉備が天下統一できなかった最大の理由です。
黄巾の乱から始まり、三国が鼎立するまでに生き残れた君主って劉備と曹操だけだもんね。
それだけでも劉備は別格だと思うよ。
劉備は清水次郎長ってこの動画の前にどこかで読んだことあるけど、その時は本当しっくり来た記憶。
昔から劉備評は「気の良い山賊の親分」「負け戦上手(劉邦や徳川家康と同じスキル)」
「風見鶏(機を見るに敏)」と天下人の要件を満たしてたのに曹操が居たから天下人になれなかった。
曹操、恐るべし
劉邦と家康は負け戦上手じゃねえわ(^_-)
特に徳川なんて野戦メタクソ強くて小さい戦では基本勝ってる。寡兵で武田に挑むくらいだからな。普段どんだけ勝ちなれてるかってレベル。決して無謀ではない。
劉邦軍は兵站が強過ぎた。
その点、元就とか秀吉とかはガチの負け戦上手よ。三國は曹操、周瑜とかね。
@@話ズ でもまあ劉備も戦術レベルではかなり強い
曹操や呂布の強大な軍にはなかなか勝ててなかった(それでもまあまあ善戦してるし最後は勝ってる)だけで、それ以外においてはかなり強い一回の将軍よ
最後の戦いはかなりしくじりではあったが一世一代で皇帝にまで上り詰めた劉備はまさに英雄。
袁術も一世一代で皇帝にまで上り詰めた英雄
王莽も(以下略
史実の方がリアリティーあって良いなぁ
「この時代は董卓や袁術みたいな奴ばかりだからな」
「詳しくは、董卓を見てね」
袁術「そういやおれ、まだ紹介されてないやん」
偽皇帝…
歴史の勝者は曹操だけど立ち回り的には劉備を主人公ポジに置いた方が
物語的には絶対にウケるよなぁ…って着想からニヤニヤしながらノリノリで
色々盛ったり改竄してったと思うと三国志演義作ってるときの羅貫中楽しそう(笑)
改竄て、創作と言ってくれ。
劉備が主人公なのは羅貫中以前の三国志物語からだし。
だいたい羅貫中自身の書いた演義はもはや現存してなくて今に伝わってるのは李卓吾版とか毛宗崗版とか後世の人が書いたものだし。
あんまり羅貫中を過大(あるいは過小)視するのはどうかと思う。
@@くにさん-w1u うん、パロディや二次創作と言ったほうが適切だったかもしれん(笑)
つまり陳寿(+裴松之)のが魏書、呉書、蜀書として編纂制作した公式アンソロジー本で
演義配布した同人サークルの時代を超えた伝説のサークル部長が羅貫中…って認識でおk?
@@津巣-b3o
というか陳寿(+裴松之)の三国志は歴史書
三国志演義は小説、ジャンルが違う
小説なのだから史実とは異なる所があるのは当然
三国志演義は目の肥えた現代の読者にとっては正直古臭さを感じるが古典なのだからそれは仕方がない
演義をバカにしてれば通ぶれるという最近の日本の三国志ファンの風潮は心が狭いと思うよ。
羅貫中って日本の小説家に例えると山岡荘八のイメージが浮かびます。
信長・秀吉・家康のエピソードなどは言い伝えや講談を経て小説の定番になったものがあり、
山岡荘八はズバリ「講釈師になったつもりで書いた」と言っていましたからw
いや曹操は皇帝でもないしその後のドタバタぶりと部下の司馬懿一族に乗っ取られたから負け組
40:00 曹操は子供も結構ロマンチストが多いからね。
あと、やっぱり曹操は劉備のこと好きなのかもね、自分と並び立つ英雄って評価しているし、できれば生かして配下にしたかったのかも、、、さすが人材コレクター。
46:30 この時は張飛もいないから劉備は本当に死にに行っていたんだなぁと思ったり。
桃園の誓いを結んだ兄弟もこの世を去り、復讐心と同じ位に死に場所を求めていたのかも知れませんね。
真三國無双3の死亡時のセリフ、「あの桃園へと帰るか…」を思い出して切なくなりました。
これだけの英雄豪傑が戦った三国時代の後が、八王の乱と北方民族の侵入が引き起こした混乱だからねえ。諸行無常と言うしかない。
北方異民族はともかく八王の乱は司馬一族のやらかしですよねえ…
劉備、正史ベースでも十分魅力的な人物だな。
正史ベースの漫画が読みたいな。
決して善人ではない、しかし「善人」をセールスポイントにして世渡りをして行ったのは間違いないと思うのです。
蒼梧太守の呉巨と何故か知り合いなのが長年の謎だったけど、16:47の丹陽の時に知り合ったと考えると合点ですね
サムネが妖怪の密談なんよ(笑)
関羽 張飛のような豪傑が命を捨てても構わんってくらいに惚れたんだから、劉備はそれ以上の豪傑だったのかな?
天下の趨勢がほとんど確定した状態でも、小さな新野城で絶対に諦めない
劉備と仲間達。それは劉備の死後も孔明、蔣琬、魏延、姜維と引き継がれていく。
北方三国志の劉備はいい味なキャラと思う
負けても負けても戦う継続する強い意志は今のメッシと通じるところがありますね!
桃園のちかいの兄弟の順は木のぼりで決まったとか
劉備は木の根っこに関羽は真ん中そして張飛は木の上にいた
というエピソードがあります。
英雄と呼ぶに相応しい人物だけど夷陵の戦いだけは本当に余計だったなあ
まああそこで突っ込まない劉備はなんか違いますし
とは言え、夷陵の戦いをやらかす性格だったからこそ、多くの部下がついてきて建国に漕ぎ着けたとも言えるので、判断が難しいですね。
状況は違えと、劉縯(光武帝の兄)も更始帝により粛清される危険性が高いと知りつつ、自分のところで養っていた食客を庇うことを選んだように、結果が判りきっていても自分が寄って立つものを維持するためには、やらざるを得ない時ってありますからねぇ。
魏と比べて蜀のダメな所は古参が大軍のトップを任される事だ。
関羽、張飛、劉備。いずれも歴戦の勇だが大軍を率いるタイプじゃない。
魏は古参も前線で使ってもらってる。
@@ys4414 そもそも新参古参関係なく、人手不足なんですよ。蜀には彼ら以外大軍を率いる将軍が諸葛亮位しか居なかったですからね。
三兄弟が出会った時の関羽と張飛の具体的年齢はわからないんですが
関羽は特に記載されていないので劉備と変わらないぐらいと思われるのに対して張飛は何と「けっこう若かった」とわざわざ記載されているんですよね(^_^;)
漫画とかだと登場時いきなりひげ面あんちゃんですが(笑)その辺ちょっと事実とは我々の認識の方が違うのかもしれませんね笑笑
ちなみに張飛のあのいわゆる虎ひげも具体的記録はなく伝承の中で勝手にイメージされてついた「豪傑なら髭もワイルドやろ👹」という民衆の想像の産物らしいです( ´艸`)
三國志の英傑たち、全員しくじってる説
演義の劉備は聖人君子キャラなのに、呂布の「こいつが一番信用できないぞ」のエピソードがあるの好き
あと、このチャンネル袁紹のこと毎回めっちゃディスってんな・・
天下を取るまでの器で無かったとしても、天下を取れなくても英傑だった人物はたくさんいるわけだし、そこそこのレベルはあると思うんですけどね
実際正史の劉備は呂布並みに裏切りだしな
まぁこの動画内でも言われてるけど敗北(しくじり)を糧に成長して大きくなるのが英雄(英傑)なわけでw
@@corjioono7463 呂布とは違って主君殺しはしてませんけどね
袁紹はすごかった
だが、名士と豪族の争いに悩んでたんだと思います
孫権なんてそれで狂いましたからね
袁紹は運に恵まれなかった
袁紹は官渡で曹操に勝っていれば、曹操と立場が逆になっていただろう。
お疲れ様です。三国志演技の劉備は嫌いですが。正史の劉備は大好きです。
才能の一言だけで一代で国を起こした人物として凄い人物だったと改めて感じた。「人物眼」だけで?英雄にのし上がった器量、見習いたいものです。決して技量がある、誰よりも強い、お金がある、運を持っているetc.だけが偉人じゃない。
漢室に誇りを持ち、献帝を蔑ろにする曹操の打倒を決める劉備の忠義心が好きです。たとえそれが演義の虚構であったとしても…
まあ、蜀が中華を統一すれば一応漢室は復興するし多少はね?
来たー!ついに演義の主役がきたー!
演義寄り正史の劉備が好き、劉邦の子孫ならむしろしっくりする。
蒼天航路の最終巻で、関羽は神に、劉備は物語に、という一節がありますが、なるべくしてなったのだと思います。さて、うぷ主は誰が一番好きなのだろう?曹操?
張角が関羽に『貴方は後の世で神になる御方だ』という部分もあるな( ・ิω・ิ)
佞言絶つべし👋
@@HULKSTAR1986 あれは関羽らしい気迫のある描写だったな( ・ิω・ิ)
横山光輝三国志、蒼天航路があるから劉備、曹操に愛着が産まれるけど、孫氏の魅力的なマンガがない。三国志なのだから誰か孫氏を魅力的に描くマンガないかなあ。周瑜が公明をやりこめるような。公明が狡猾に描かれるだろうなあ。周瑜が主人公側だと公明のことあの二枚舌がとかいいそう。孫氏側が主人公だと周瑜が主人公に1番向いてます。
@@デカエルチャンネル-z1t 賛否ありますが、映画レッドクリフは周瑜が主役でしたね。
確かに孫氏を推す人は少ないかも。
皆、周瑜、陸遜、甘寧、辺りを推す人が多い気がします。
諸葛恪はほぼ見かけませんが。
呉討伐戦(夷陵)は関羽の弔い戦というのは表向きの名目で、あくまで北伐実行の為の荊州奪還が目的だったと思っている。
弔いではそれまでの劉備の身の振り方と違和感あるし、夷陵で堅陣を敷いて手堅く攻めていた戦い方も弔い戦とはとても思えない。
孔明はこの事を知っていたから諫めはしたものの益州の留守を守ることに徹していたと考えると合点もいくし。
呉は魯粛、呂蒙が短い期間で亡くなっていて(劉備の視点からしたら)文官上がりの若造の陸遜が都督になっている状況ですからね
こういう状況でベテラン武将が陸遜の言うことなかなか聞かないことも劉備はよくわかってますし勝算はあったんでしょうね
北伐できる程度に荊州奪還して手打ち、ってのが狙いだったと思います
関羽が死んでから2年後とかなんですよね夷陵の戦い。
敵討ちならこんなに期間は空けないと思うのでその通りかと思います。
本宮ひろしの主人公みたいな感じだったんだなあ
劉備
あんな昔に立看板なんかあって字も読めるのか、すごいねぇ
蜀漢正統論は中国では特に中原を異民族に奪われて漢民族の王朝が南に逃れていた時期に盛んに唱えられた。これは「王朝の正統性は中原の領有にに基づくものでは無く、血筋に基づくものだ」とする蜀漢正統論が現実に中原を失った王朝にとって都合が良かったから。
いつも楽しく拝見しております。
ここ最近の三國志シリーズは大作が多くて見応えありますねぇ!
季節の変わり目なので、お身体にはお気をつけて。☺️
動画感謝
敵が曹操でなければ劉備が劉邦のように天下統一していても不思議はない。
それにしても三国志は統一した司馬氏も含めて真の勝者がいない(司馬氏は統一時点ですでに崩壊が始まっていましたし)という点に諸行無常を感じます
劉備は一応自称ですが「漢の皇帝」に成ってます。これが天下三分の計。
名前を見ると光栄三國志BGM:桃園の誓いが脳内再生される・・・時の河 派の方もおられる事でしょう
英雄というのは負けても生き延びるんですよね。劉備も曹操も。
孫堅、孫策は大敗したわけではないのにあっさり死んでしまった
それも天命というものなんでしょうか‥
なんかこう、人々は劉備に劉邦や劉秀の面影を見たんでしょうねぇ。劉秀は当時のイケメンで、劉備は異なる親しみの湧く外見という違いはあるけど。
そもそも 劉備本人は漢の景帝の末裔と名乗っていましたが本当かは全く分かりません。中国では 劉という名前の人はいくらでもいます。また自称 何々の末裔という人も中国にも日本にもたくさんいます。日本だと家系図を作ってくれる商売も 昔からあります。徳川家康は松平という家に生まれたことは分かっていますが、その 松平家がどんな家だったかは学問的にははっきりしていませんが、源氏の流れを汲むということになっています。
偽善者の人たらしでも、好きですよ。劉備は大徳の人。やはり、劉邦の風格が備わっていたのではないでしょうか。諸葛亮を始め、配下の功績も大きいですが、凡人が、蜀漢の皇帝にはなれません。
劉備が弱かったら、そもそも関羽も張飛もついてこないんだよね
41:46 終盤に漢中で劉備と曹操が直接激突する折に、劉備は一度も勝ててない、わけでもなく赤壁の戦いで一応曹操軍を撃退したのは劉備軍ですね。
216年曹操が魏王、219年定軍山の戦い、220年後漢滅亡、曹操が没、221年劉備が蜀漢の皇帝、223年劉備が没。時系列忙しい。
長板波の戦い前の博望波で夏侯惇于禁10万の軍を単独で破ってるね
諸葛亮は劉備の東征を諫めていなくて、賛成もしていない。
ただ劉備が陸遜に大敗したという報告を聞いて「もし孝直が生きておれば東征を思い留まらせたあろうし、もし出来なかったとしても、このような大敗を防げたであろう。」と呟いただけだった。
何度負けてもチャレンジし続けて、世界史に名を残した、って点でいうとリンカーンみたい
正史で孔明は劉備の呉討伐に反対していないんですよね。
天下三分の計は、孫権との同盟とともに、荊州と益州を合わせ、両方から曹操を攻める戦略。
だから荊州南方は孫権に渡しても問題無く、洛陽や許都に近い荊州北方こそ重要。
荊州を全部孫権に渡すなら、確かに涼州というもう一つの攻め口が必要。
奪い返せるなら荊州南郡があれば足ります。
だから劉備の荊州奪還遠征は戦略として間違ってないんですよね。
ただ、それは蜀から見ての話で、呉には呉の事情があり、人口イコール国力のこの時代、荊州はどうしても必要な地。
天下三分の計は劉備の為の戦略だから、呉にはほとんど得が無い。
理想論を言うなら、魏への攻め口である南郡だけ取り戻す為、劉備が兵で脅し、外交で割譲と再和平で良かった。
多分この辺で、全土奪還か和平再開か方針決まってなかったかと。
劉備は普通に強いし呂蒙死んでるから、荊州全土取り戻せるという思惑が強かったかと。
というわけで、かつて劉秀が漢再興をした地であり、最大の人口と、直接洛陽に繋がる荊州南陽を抑え、合肥では張遼をもって孫権を撃退し、呉にこの方面での勢力拡大を断念させた曹操高みの見物って事ですね。
前漢の故地漢中と、後漢再興の地南陽、両方を劉備が抑えていたなら歴史は全然違ったでしょう。
(となると、劉備最大のしくじり夷陵の戦いは、劉表死後にさっさと荊州を奪いに行かなかった時期に種が蒔かれていたかも)
蜀だけではジリ貧で打倒曹魏どころかいずれ滅ぼされると見越した上での荊州侵攻だったと思うんですよ
夷陵で再起不能なまでの大敗で生きる気力も尽きてしまったのでしょうね
漁夫の利で天下も狙えたかもしれない魏としてはあの状態から呉蜀の再同盟は衝撃だったでしょうけど
実は夷陵の戦いで蜀は人口90〜100万人の小国で15万人も農家の次男・三男を徴兵して、その兵士の大部分を失った大敗なので、国力ガタ落ちです。
劉備死後、諸葛亮が政治・軍事の全権を掌握して塩・鉄の専売、軍事独裁を強化して富国強兵に努めたのは、小国としての事情です。
孫権の呉人口は忘れましたが、荊州人口60万人、魏は人口500万人だったと思います。
!!!昔の肉屋さんって、、、武将としてのポテンシャル凄いねw 水滸伝にもいたね!
「刃物を使いなれている「たんぱく質豊富な食事」「儲かっていれば金持ち」
戦士としてのポテンシャルは高そう。
@@001lonestar7 ねw
樊噲も肉屋だったよね。
@@YOSHI-lg7kr 様
どの古い中国史英雄伝説記でも必ずというほど元肉屋さんからのし上がる武将出てくるよね!びっくりねw
何進「そうか、俺も武将としてのポテンシャルは高いのか」
これだけの内容を50分でまとめていただき、ありがとうございます。一点おしえてくださいませ。
37分30秒の【孔明を呼び寄せねばならない事態~このことが後に大きな悲劇】⇒
どのような大きな悲劇を巻き起こしたのでしょうか。
宜しくお願い致します
①孔明が蜀に呼び寄せられる
②荊州の守りが関羽だけとなり、手薄になる
③関羽が魏と呉の計略にかかり、自身は討ち死にし、荊州が奪われる
④関羽を失った劉備が私憤に駆られて呉と戦を決断する
⑤張飛から無理な戦準備を強いられた家来が要求を果たせずに、張飛から折檻される
⑥折檻された家来が、保身のために張飛を殺害する
⑦関羽と張飛の両方を失った劉備はますます私憤に駆られ、呉との戦いで冷静な判断ができない
⑧呉の都督 陸遜との夷陵の戦いで、それまで育成した数十万の蜀軍を一気に失い、失意の中で劉備が世を去る
⑨荊州も呉に取られ、魏に攻め入る北伐の最短侵攻ルートを失い、孔明が苦しい戦いを強いられる
⑩あと一歩のところで魏の司馬懿に敗れ、失意の中で孔明も世を去る
@@akikawa2540
ありがとうございます!!
荊州失落がすべて・・・思ってますので、そのキッカケに繋がる事態だったと認識できました!
ホウトウが戦死してなかったら
多分、関羽は孫権とうまくやってたろうな
孔明の助言なら聞き入れるからね(だから劉備も益州攻めに孔明を連れていかず残したんやろ)
三国志の何かの漫画であったなぁ、曹操、劉備が没した辺りでまだ三国鼎立してないことに触れ『バカヤロウ!始まってすらねぇよ三国志!!』というのが。
42:38 この頃の趙雲はボディーガード団長のようなもので…
ベタだけど蒼天の劉備が一番良かったな。
他の作品の劉備を見ても何でこれで人望があるのかわからないけど、あれなら確かに人が付いて行くだろうなって納得は出来ますね(´・ω・`)
演技が架空、って印象の反動で普通の三国志は全部実話。みたいな印象が強くなりがちだけど、普通の三国志に架空が入ってない理由なんて一個も無いよな...(これはあらゆる歴史に言えてしまう事ですが...)
表舞台に残る歴史は、すべからく勝者が改竄したものだから
劉備と曹操の若い頃、バージョンで漢の監察官が賄賂を要求して曹操は役人を百叩き、劉備も木に縛って役人をボコボコリンチが共通事項です。
曹操が劉備を
「英雄は自分とあなただけだ!」と評したのは、納得です!
劉備没後40年、孔明没後30年蜀を維持した劉禅は本当に暗愚だったのか?
暗君だと思いますよ。当時の魏は司馬一族のクーデターや内乱勃発でとても大軍で外征出来る状態じゃないですから
@@masatonamiki1978
演義と正史の区別ができてない人って多いよね
帝位(国)を40年維持した皇帝があの大陸に何人いたと言うのか
司馬昭とのエピだって
司馬懿や永楽帝が呆けたり狂ったフリをしてみせたってエピを踏まえてみればまた違った解釈もできように
劉禅は宮沢賢治が成りたいと願った「サウイウモノ」かもしれない
中途半端に賢い奴より、正真正銘のアホの方が長生き出来るんですよ。
わらじ売りから始まったのに20代前半で県尉、30歳そこそこで国相二千石、33歳で州刺史、48歳で左将軍兼州牧、40歳位で天下に自分より偉いやつは曹操と袁紹しかいないという経歴的にも規格外の人です。
曹操が劉備を自身と同レベルに評価しましたが、戦場の最前線で戦うタイプの二人なので集団心理の掴み方や操り方など、曹操が言うように軍事的には類似点が多かったのかもしれません。
戦場では死なないし、逃げたと思ったらすぐに兵力を立て直すし、とにかく敵に回してこれほど厄介な相手はいないでしょう。
赤壁、漢中で曹操を打ち破っておりこの時代最強クラスの将軍です
いつも狩りの時に関羽が曹操を切っていたらを考えてしまう
関羽なら本気なら切れたろうし劉備達も生きては逃げられない
そうなったら袁紹VS孫権なのかな
どっちもどっちで統一王朝は無理そう、よくて南北2国。五胡十六国のように各地で独立勢力が跋扈する時代が続いたと思います。
もし、劉備のライバルが曹操じゃなくて、呂布だったら、劉邦の再来になれたかも知れませんね。
10:14
う〜ん
なろう主人公?
この年になって知ったけど軍師雇う前から戦争強かったんだな。
三国志演義やそこからくる横山三国志よりも魅力的な人物ですね。敗戦のたびに強くなるってめちゃめちゃ主人公感あるし、読み物としても聖人君子として描かれるより面白い気がします。
とはいえ、劉備亡きあとの描写については劉備がお飾りで孔明が傑人として突出してる方がよかったのかも
演義劉備は嫌い 正史劉備は好き
劉備玄徳はやめよーよ
劉玄徳ってさ わかってるんだろうしわかりやすくしたいんだろうけど
最低限文明・文化に敬意は払おうよ
いい動画作ってるんだからさ
蒼天航路の下町のおっさん臭い劉備が好きです
「中華の北斗七星・劉玄徳!これより天下を取りに出かけるぜ!!!」
ゲームの三国志で武力が高いと思ったら演義じゃなくて正史によるものなのか・・最近はゲームの武将列伝も正史と演義両方の記述があってよき。
関羽が独立勢力みたいになったのが悔やまれる。コントロールできなかったかな?
基盤が蜀じゃあジリ貧だったし、コレが限界だったかもね。後世にも名を残せたし、ゲームで孫権の妹とラブラブになるし、よく頑張りました。
蜀が滅んだ最大の理由ってどう考えても桃園三兄弟のポカだよな。
そのツケを払わされた息子の劉禅が本当に可哀想。
とはいえ、三兄弟の誰か1人でも欠けたらそもそも蜀という国自体無い訳で。
@@こおりあめ-n2d 自分たちで国を興し、そして滅ぶ理由を作ってしまったのか。
なんだか切ないな。
まぁ、ほぼほぼ徒手空拳、何も寄って立つところがない状態で、一から国を興したんですから、彼らからすれば「最初に国があるだけマシだろ」と言ったところじゃないですかね?
とは言え、その国がほぼほぼ詰み状態で、しかもそれを継いで、順当な結末を迎えたら必要以上に後世罵倒され続けている劉禅には同情しますが・・・
@@酔狂-i9o 守りを固め続けて、司馬衷の時代まで持ちこたえれば、生き残れたのにねw
@@tevalleyluckman8746
逆に、その時代まで三国時代(か二国時代?)が継続してたら、後継者選定に実力とかが加味されて、もう少しまともな人が皇帝になった可能性も・・・
この荊州問題への劉備のノラリクラリ対応をみると、失陥の責任の多くを関羽に求めるのも酷な気がするなー
孫堅ともピリピリしてるのに漢中攻めと連動した対曹操の動きも求められたんじゃないかと
嫁を断った話も「本国に確認するから待って!」「お、できないの?おれ怒っちゃったなー」みたいなやる気満々の孫権の口実つくりかも
まあこんなの考え出したらキリがないね
陶謙のニックネームは強盗将軍
玄徳が五湖十六国時代に生きていれば、数百年も戦乱の世が続かなかったかもと思う。
有能な武官や文官は多かったけど、人と国を纏められる英雄はいなかったからね。
劉備見てたら、劉邦の生まれ変わりなんじゃないかってくらい、人間性や境遇などが似ている。劉備も劉邦も低い身分から、頭角を現し、国を建てたこと、人たらしと呼ばれるほどの人望・カリスマ性の持ち主であり且つ多くの英雄・豪傑・知将を従えていたという点も共通している。
劉備の惜しいところは官渡、赤壁と大事な大戦で脇役なんだよね。